岡山県玉野市に伝わる鬼にまつわる伝説

吉蔵と鬼の面

まだ常山のふもとが海であった頃の話である。宇藤木地区のすぐ下まで海水が洗い、沖には中国や筑紫に向かう大きな舟も航行していた。この宇藤木の里に吉蔵という貧しい漁師が住んでいた。彼の小さなあばら家は海岸にあって、家には眼の見えない母が一人いた。

 

母と子の二人暮しであったが、舟を買うこともできない吉蔵は、漁師といっても沖に魚をとりにいく事はできず、わずかに海岸に寄ってくる雑魚を網でとっては毎日、自分で売り歩くという生活であった。したがって、朝早くから、夜も寝ずに働かねば暮らしがたたないほど貧乏であった。

 

その貧しい暮らしの中で、母は自分の目の見えないことを嘆き悲しみ、これを見る吉蔵はそんな母が心からいとおしく、なんとか母の目が開きますようにと毎朝暗いうちに氏神様に母の開眼をお祈りして海岸づたいに家に帰る途中、大きな杉の木のあたりまで来た。その時、日頃から欲しいと思っていた小舟が一隻、波に揺れながら吉蔵の前に来て、まるで生き物のようにピタリと止ったのである。

 

「不思議なこともあるものだ」と思った彼は、それでも恐る恐る舟に乗り移って、夜明けの薄明かりの中で調べてみると、「ヒャーッ、鬼だ」、と思わず声をあげて気を失うほどに驚いた。

 

見るも恐ろしい鬼の面が燃えるような目をみはり、吉蔵をにらみつけているではないか。しかし、彼は恐ろしいもの見たさによく見ていると、この鬼の形相が実に神々しく、恐ろしいはずの鬼の面がどうも優しいみ仏のように見えて来るし、かたわらにはご神札も立てられている。

 

―――――――目があいた吉蔵の母――――――

これはきっと神のお姿であろうと考えた吉蔵は、あらためて深々と頭を下げお祈りの言葉をささげたのである。

 

やがて、荘厳な朝の太陽が海面を照らしはじめた。吉蔵は「この舟はきっと神様から授かったものに違いない」と思い、直ちに、鬼の面とご神札をいただいて、わが家に帰ってきたのである。

 

吉蔵が家に帰ると、「吉蔵、吉蔵、目があいた。お日さまがまぶしい。ありがたいことだ」と今まで目の見えなかった母が狂喜して出迎えた。「えっ、お母さん目があいた!本当にあいたの、お母さん、これが見えるかえ」。

 

吉蔵は躍り上がって喜んだ。これこそ、平常信心している神様のおかげだ。もったいない。不敬なことがあってはならぬと吉蔵は常山の中腹に小さなほこらを建て、鬼の面とご神札をここへお祭りした。

 

この話を聞いた村人たちは、吉蔵の孝行と信心の徳だと感心してほめたたえるし、お母さんの目が見えるようになって、舟まで授かった吉蔵には幸福な日が続いた。

 

ところが、鬼の面をまつった常山のほこらの中から毎夜、泣き叫んだり、時には争いわめく声が聞えるという噂が立った。

 

そしてその声を聞いたという人が一人増え、二人増え、この気味の悪い話で村中が大騒ぎになった。そこである夏の夜、大勢の祈祷者を集めてお祈りをし、お伺いをたてることになった。

 

祈祷者に乗り移った鬼の面は「助けてくれ!助けてくれ!海神の目が怖い。吉蔵の母の目が開いたのも、海から救い上げてくれたお礼に開けてやったのだ。どうか海神の目から逃れさせてくれ。海神が怖い」とのお告げであった。そこでみんなで相談し、それでは海の見えない山奥へお祀りするのがよかろう、ということになって、由加山へお移ししたのである。この鬼の面が由加神社のご神体となったということである。

 

「玉野の伝説」

著者:河井康夫

発行:昭和53年

 

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