岡山県玉野市に伝わる鬼にまつわる伝説

別記:桃太郎伝説と児島の鬼

桃太郎が"鬼が島"にサル、犬、キジなどを連れて鬼退治をする伝説は昔から岡山県では有名である。この桃太郎伝説も岡山県だけでなく香川県及び愛知県にもあって、本家をめぐって言い争いが起っている。

 

岡山県での桃太郎は四道将軍の吉備津彦命をあてている。これは、四、五世紀の頃、大和朝廷が征討軍を出して諸国を鎮圧した時のことであろう。

 

孝霊天皇の頃、異国の鬼神が飛来して、吉備の国にやって来た。彼は百済の王子で名をうら温羅といった。一説には、火車とか吉備冠者とも呼ばれている。

 

両眼は、虎狼の眼のようにするどく、身長は約四メートルもあった。力は強く凶悪であったという。彼はやがて、備中国の新山に城を構え、岩屋山に楯を築いた。

 

そして西国から都に送られる船の積荷を奪い、婦女子をかどわかすなどの乱暴を働いたので、人々は彼の住む場所を"鬼の城"と呼んで恐れた。

 

都の天皇もこれを憂い、武将を派遣したが失敗した。そこで吉備津彦命を派遣した。

 

命は、大軍を率いて吉備の国に下り、吉備の中山に陣をとった。命の打った矢は鬼神の矢と空中でかみ合い、いずれも海中に落ちてしまった。命は一計を案じ、一度に二本の矢を放ったところ一本の矢が温羅の左眼に当たった。鬼はキジや鯉に化けて逃げようとしたが、ついに捕まって首をはねられた。

 

この温羅の住んだ鬼の城は昭和五十三年に発掘調査され、二キロに及ぶ石塁と土塁、水門を持つ朝鮮式山城として現在注目されている。この伝説のゆかりの地として「矢喰宮」「血水川」「鯉喰神社」「つづみやま(鼓山)」などが残っている。この温羅と児島の鬼とは無関係ではないように思われる。

 

児島の鬼は阿久良王などと呼ばれ由加山にたてこもって、由加の里人に略奪を働き、乱暴をした。そして、都からの使者、坂上田村麻呂に退治されるのであるが、後世には児島の三兄弟になったり、許されて都に帰されたり、白ギツネになって神の使いとなるなどしている。

 

鬼は元来、中国では死者の霊の意味であり、日本では醜怪であって、怪力があると信じられて来た。そして、始めは幸福をもたらすものであったが、仏教の影響を受けて妖怪化した。また、日本書紀などでは、鬼神、邪鬼は皇威に服しない乱人のことである。

 

従って、鬼の城の温羅も児島の鬼も、現在のイメージの鬼ではなく、都の天皇に服従しない地方の豪族であったか、また、当時としては最新の武器、文明を持った帰化人の集団であったかも知れない。

 

最後には、中央政権に服従させられるが、案外、悪い者ではなく、滅びゆくあわれな鬼であったかも知れない。

 

児島の鬼神は以外にもろい面があり、海神を恐れて海の見えない所に祭られているなど面白い面がある。

 

「玉野の伝説」

著者:河井康夫

発行:昭和53年

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