由加の鬼と宇喜多家
いつ頃のことかはわからないが、十二〜十三才の子供が二人、異国からはるばる藤戸まで流れ渡って来た。渡守は、いぶかって何処から来て、何処に行くのかとたずねた。
その子は「唐の国から来ましたが、都に上るところです」と答えた。
海も山も、夕闇に包まれようとしていた。渡守は、「この向かいの島には乱暴者がいるので、道をかえて行ったほうがよい」と教えた。二人はうなずいてそこを立ち去り、浜辺にいた村人に酒を売る店はないかとたずねた。
二人の子供はそこで酒を買い求めた。
日はとっぷりと暮れて、道もはっきりと見わけがつかない。二人はその酒店に宿を乞って泊めてもらった。ところが、この店に鬼のような乱暴者が住んでいたのである。そうと知った二人は、その者に酒を飲ませ、酔った頃をみはからって、二人で刺し殺し、首をはねた。
その首は飛んで由加山に落ちた。今ある由加神社はその首をまつったものだという。
二人の子供はそのまま京にのぼり、このことを申し上げると、その武勇が都中にひろまった。
この子供の子孫に宇喜多少将という者があった。ある時、白河法皇が頭痛に苦しまれ、都の博士などに占ってもらったところ、紀州熊野にある柳の大木を三十三間堂の棟木にしたら直る、とのお告げであった。
さっそく人に命じて、その大木を棟木に上げようとしたが何回も落ち、とうとう三十三度まで落ちた。そこで、博士に占わせたところ、今度は稚児の舞を催せという。この舞に選ばれた子供の中に宇喜多少将の子がいた。
少将の子は舞に用いた鬼の面の一つを隠し持って帰った。すると、それから都の男女、昼となく、夜となく、神隠しがあった。
これは不思議なこともあるものと、また博士が占った。すると鬼の面をもった子がいるからだと分かった。
そうとわかって、少将の子は小さな舟に乗せられて摂津の海から流された。この舟は児島の宇藤木に流れ着いて、その子は由加山に登った。その子が鬼の面をかぶれば、たちまち、三〜四メートルもある鬼になって略奪をほしいままにした。由加の住民は次第に減っていった。
この事が都に伝わったので、帝は都の使者をつかわした。使者は由加に来てよく調べると、子供が鬼の面をかぶると大きな鬼になって人を喰うので、何とか鬼の面を脱がそうと思い、その子をだまして鬼の面を取らせて、それを切った。鬼の面から鮮血が流れ出た。使者は、その子には罪はないので、許して都に帰した。
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この話は、宇藤木の吉蔵と鬼の面、さらに由加の鬼塚、後述する金甲山での鬼退治の伝説など一連のものと思われるが、話がこみ入っていて、素朴性があるように思われ興味深い。
「玉野の伝説」
著者:河井康夫
発行:昭和53年
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