金甲山と坂上田村麻呂
由加山に住みついた鬼どもは、夜な夜な人里におりて強盗を働き、女や子供をさらうという悪事の限りをつくした。
村の人は都へ鬼征伐を願い出た。時の御門は有名な坂上田村麻呂をつかわした。御門の命を受けた田村麻呂は山田に上陸し、神の峯(金甲山)の麓にあった円通寺の竜王さまにお願いして必勝を祈願したうえ、苦心さんたんした末、由加山の鬼を退治した。
そこで、田村麻呂は神さまのご援助のお礼として自分のきていた金の甲を竜王さまに奉納したのである。そのため、神の峯のことを人々は金甲山と呼ぶようになった。
一説に、坂上田村麻呂は児島の通生に上陸して鬼を退治したといわれている。
それでは坂上田村麻呂とはどんな人物であったのか。阿知使主の裔である苅田麻呂の子であり、眼は鷹の如く、ひげは黄金の糸のようであった。怒れば猛獣も恐れ、笑えば赤子もなついた程であったという。
蝦夷征伐のほか、薬子の乱に勲功があり、位は正三位にすすみ、官は大納言に及んだ。嵯峨天皇の弘仁二年、五十四才で死に、天皇は哀惜して、従二位を贈った。そして山城国に葬った。これを将軍塚という。
田村麻呂は伝説の多い人物で、国家に事ある毎にこの墓は鳴動するといい伝えられている。
「玉野の伝説」
著者:河井康夫
発行:昭和53年
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