児島の三兄弟と京の上臈島
京の上臈島に女の形をした石がある。この話も、不幸に死んだ京の上臈の菩提をとむらったものである。昔、三宅の祖といわれる三兄弟が加茂の庄に住んでいた。名前を東郷太郎、加茂次郎、西郷太郎といった。
長兄の東郷太郎は都で結婚したため、妻は都におり加茂次郎は田舎で結婚したため、妻を田舎においていた。この兄弟は同じ仕事をし、交代でつとめていた。
従って、兄が仕事で田舎に下るときは、弟は京に上るということになる。この期間は夫と妻は別々に暮らさねばならなかった。このため、その妻は、それぞれ夫を慕いながらも、次第に夫への疑いを深めた。こうしたことがたびたび重なって、疑いはこり固まってしまった。
そして二人の妻は夫に会わなくなった。そのため夫婦がお互いに怨みを持つようになった。
ついに都の妻が国へ下り、京の上臈島で身を投げた。するとこのことを聞いた加茂の妻も同じようにそこに行って身を投げてしまった。その後、二人の兄弟がそのことを聞いて行ってみると、もうその影もない。
そこで兄弟は深く憐れんで、八浜の奥里に光眼寺という寺を建て、丈六の観音を安置し、般若の弔いをして、女の形をした石を京の上臈島の海辺に立てた。
この話が広がり、ここを通る上り下りの舟、不知火の筑紫の人までが京の上臈、田舎女郎といったといわれる。
「玉野の伝説」
著者:河井康夫
発行:昭和53年
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