岡山県玉野市に伝わる偉人や人にまつわる伝説

与太郎さま

八浜の大崎に、足の病を治してくれる「与太郎さま」がある。この与太郎さまは近郷近在の信仰を集め遠くは郵便で願を立てるものも多く、与太郎様には絶えず、草履やわらじ、さらにはギブス、松葉杖などが社前に積み上げられ、線香の煙がたちのぼっている。

 

本当に足に効くのだろうかお礼参りやお札の手紙が所狭しと並べられている。与太郎さんは正式の名前を宇喜多与太郎基家といって、八浜合戦の宇喜多方の大将であった。天正(1573〜92)の頃、八浜で毛利氏と宇喜多氏とが戦った。

 

戦いは一進一退でなかなか決着がつかなかった。しかし、武運つたなく与太郎さまは脚をうたれて矢傷を負った。重い足を引きずりながら大崎から八浜に向かって小さなあぜ道を逃れていた。

 

疲れ果てた与太郎は、道端のとある竹薮を見つけ、しばらく、ここに隠れて疲れを休めようと思い、生い繁った雑草を踏み分けて、藪の中に姿を隠した。

 

道からそう遠い距離ではないが、笹の葉を通した薄暗い緑の土の臭いや草いきれがただよっていた。

 

与太郎はしばらくそこで疲れをいやした。しかしほっとする間もなく、毛利方の武士が数人、大崎の方から与太郎のあとを追ってきた。落武者の探索である。その時、探索の武士は、近くで畑を耕していた百姓を見つけ、つかつかと寄って来て、「今この近くで大将風の落武者を見かけなかったか」と聞いたが、百姓は恐ろしくおどおどするだけで答えようとしない。

 

武士たちは重ねて、「おい、確かに見かけた筈だ。正直に答えよ」といった。困惑した百姓は仕方なく、言葉には表さず、竹薮に視線を移し、あごでその方角を示した。この動作で与太郎が竹薮にいると判断した毛利の侍たちは一目散に竹薮に駆け込み、与太郎はついに敵の手に捕らえられたのである。

 

この時、与太郎は脚気をわずらっていて、ただでさえ歩くことに苦労していた。怨みをのんで、敵に殺された与太郎の怨霊は大崎という村全体にたたり、それからというものは、この村に唖が多く生まれたという。

 

また一方では与太郎基家が脚気さえわずらっていなければ、非業の死をとげることもなかった。と自分の足の不自由を嘆き「これからは足の不自由な人を助けよ」との神のお告げがあったという。

 

村人たちは与太郎へのお詫びと供養のため、また一つには、足の悪い人たちを救うためお堂を建立したというのが「与太郎様」の伝説として語りつがれている。

 

「玉野の伝説」

著者:河井康夫

発行:昭和53年

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