天神の硯井
「天神の硯井」は、延喜元年(901)、菅原道真が、藤原時平のざん言で、太宰権師に左遷され、海路で筑紫に向う途中、八浜町大崎にある現在の天神山のあたりへ泊った。 そして硯の水を海辺から取ったという伝説がある。そのいわれから、この山を天神山といい、天満宮を祭り、硯井天満宮といっている。水取りの跡は、現在も井げたを作って残されている。
農林省七区干拓がすすむ前はここまで児島湾が入りこんでいて、干潮時には、硯井の水は甘いといわれる。
菅原道真は領送使に伴われて明石の浦を船出した。そして小串から児島湾に入り、水を求めて大崎村に着いた。潮が引いていたので、菅公は家臣に背負われて、海岸の岩に上陸され、久しぶりの大地を懐かしそうに踏みしめて歩いていると、干上がった海中の砂のくぼみに水が吹き出している所がある。
手をつけてみると、それは冷たく澄みきった美しい水で、思わず口に入れてみると不思議なことに海の中にありながら、少しも塩気のないおいしい清水であった。
菅公は、「ありがたや、これこそ神の恵み」と柏手を打って、その水を拝んだ。ところがよく見ると柏手を打つたびに新しい水がぶくぶくと音をたてて湧き上がり、しかもその水には金の砂が交じっているではないか。
驚き、畏れた菅公は神意の深さに涙を流し、その水を汲みあげて硯にうつし、一首の歌を書いて里人に与えた。
海ならずたたえる水の底までも 清き心を月ぞ照らさん
あとになって、それが天神さまであったことを知った里人たちは、この水の湧く所に井筒を作り、鳥居を建て、この丘の上に天神社をまつって、長くその徳をしたったのである。それ以来、海の中で清水の湧く井戸として不思議がられ、天神の硯井として有名になり、手習いや書き初めには遠方からも、この井戸の水を汲みにくるという。今は入学願い、履歴書、釣書などを書く硯の水によく使われる。
「玉野の伝説」
著者:河井康夫
発行:昭和53年
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