浜の神様
県内でも有数の海水浴場である渋川海岸は、夏には大勢の海水浴客でにぎわう。この海岸の松林の中に渋川八幡宮があり、境内に「浜の神さま」と呼ばれている小さな社がある。
江戸時代のこと、渋川の依田なにがしという人が仕事で幾日か京に滞在した。彼にとって、京の都は素晴らしく、恋人もでき、二人は婚約をするまでになった。
京をはなれる日が来ると、彼は彼女を渋川につれて帰ることにした。二人は長い船旅の末、ついに宇野が見える沖合いにさしかかったとき、彼は彼女に
「もう、渋川も近い。いきなり、お前をつれて帰っては、皆が驚く。しばらく、この島に上がって待っていてほしい。」
彼は、彼女を京の上臈島に残して渋川に帰っていった。 何日か経ったある日、渋川の海岸に若い女の死体が流れついた。村人たちは、この水死体を見つけて「可哀相に、どういう事情か知らないが、ええとこへ行きなさいよ。」と沖へ押し流してやった。ところが翌日また同じ所に死体が流れついているではないか。村人は気味悪がり、さらに沖の方に押し流してやったが翌日には、また同じ場所に流れついていた。その内、この若い女は依田なにがしという者が都からつれて帰った女であることがわかった。
京の上搏へ置き去りにされた彼女は、いくら待っても迎えに来ない男へのやるせない慕情と離れ小島に一人残された心もとない寂しさに耐えかねて、ついに海に身を投げたのであろう。
そして、彼女の魂は、渋川の浜辺に流れつき、ここを離れようとはしなかったのである。これを哀れと思った村人たちは付近の松林の中にねんごろに葬り、そこに小さな祠を建ててまつったのである。 依田なにがしは後悔し、社や鳥居の建立から、お祭りまで、すべて身をもって奉仕し、その菩提をとむらったという。今も人々から「浜の神さん」と呼ばれ、松林の中にひっそりとまつられている。
京の上搏の話であるが、田井や直島でもこれに似た話があって、戦前は気味悪がって誰も京の上搏には寄りつかなかったらしい。
現在、社は立派になっており、海岸の側で静かなたたずまいを見せている。
「玉野の伝説」
著者:河井康夫
発行:昭和53年
このカテゴリーの伝説
- 浜の神様
- 県内でも有数の海水浴場である渋川海岸は、夏には大勢の海水浴客でにぎわう。この海岸の松林の中に渋川八幡宮があり、境内に「浜の神さま」と呼ばれている小さな社がある。
- 西行と渋川
- 現在、渋川海岸には海洋博物館の近くに西行の大きな像が建っている。そして海岸に沿った遊歩道の脇の石碑に西行が詠んだ歌が彫られている。
- 大槌・小槌・大蛇退治
- 大槌・小槌の二つの島は日比沖にあって、大槌島は岡山県と香川県の県境になっている。標高約150メートルの円錐形の島で木が繁って、鳥などの天国になっている。
- 海の幽霊
- 海に出れば、現代でも常識では、はかり知れないことがよく起こる。風がないのに急に、波が高くなったり、潮が早くなったりする。そうしたことで命がけの航海をすることが多い。そこに海の神秘を感じ、信仰や伝説が起こるのであろう。
- 流し初穂
- 備讃瀬戸を航行する船が海上から金毘羅宮のある象頭山を拝んで、乗組員のさい銭を墫につめ"奉納金毘羅宮"、ののぼりを立てて海中に投げこむ
- 五人宗谷(ぞわい)
- 宇野港の沖合の鳥島と京の上搏(じょうろうじま)の間にある岩礁が五人宗谷と呼ばれている。潮が満ちて来ると海中に隠れるが、潮が引くと点々と黒い岩が顔を出す。
- 京の上臈島(きょうのじょうろうじま)
- 直島の北に位置し、高部鼻から1.3キロ程度のところにある。 このほかにも、多くの伝説がある。
- 黒岩大明神
- 歌見の沖合いは、昔、児島の北航路なっていて、このあたりの海の難所であった。
- 山伏の瀬戸
- 渋川から唐琴に山伏の瀬戸と呼ばれるところがある。そこは奇岩が重なり、崇拝の洞窟などがある聖域であった。