波知の白玉
この話は、かなり有名であったらしく蒹霞堂(おぎかすみどう)雑録にも紹介されている。
寛政九年三月十五日、備前国児島郡波知村の民、長吉は弟の小次郎と共に、その村の後ろにある鴻の峯という山に礎石をとりに行ったが、あまりに大きいので、打ち砕いたところ、石の中から一つの白玉があらわれた。これを持ち帰り、灯の前においたら十センチメートルぐらいの範囲を照らした。玉の大きさは小さな玉子ぐらいであったという。
何となく、玉の地名の起こりとなった蛤の「玉」とよく似ている。
「玉野の伝説」
著者:河井康夫
発行:昭和53年
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- 波知の白玉
- この話は、かなり有名であったらしく蒹霞堂(おぎかすみどう)雑録にも紹介されている。
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