化粧地蔵考
東児地区は特に地蔵信仰が強く、寺や、辻、墓地などに古い地蔵、新しい地蔵がたてられ、絶えず線香の煙がただよい、真新しい供え物が供えられている。
その地蔵さまに年一回(八月二十四日)、顔料などで化粧をしている。塗り方、色はまちまちであるが東児地区一帯にわたって長い風習を保っている。
しかし、この風習は東児独特のものではなく、京都府下、滋賀県・北陸・東北・山陰・九州の一部にもこの風習が残り、市内でも八浜、沼、向日比などでも似た風習がある。
これは彩色することによって、農漁業の豊作、豊漁を期待するためと、昔から庶民に親しまれ、身近な仏として信仰を集めてきた地蔵を立派な姿にしようとする素朴な庶民感情だろう。
また、「笠地蔵伝説」と同じ心理によるものだろうが、麦わら帽子をかぶせ、よだれかけをし、衣をかけたり、また地蔵の彩色、縁どりなどしている。化粧の伝説として、東児町史に次の話がのっている。
「九州五島では、地蔵の顔が赤くなると、大難がある前兆などといわれ、村を逃げ出す人がいたという。これは地蔵に限ったことではないが、古い書物によると、顔が赤くなるのは血に彩られる意味が多いといわれる。
また、地蔵にいっぺん色をつけたため、島が一つなくなったという話も伝わっているが、島の場合は大抵は、豊漁を願う時に、仏像に色を塗る習慣を持っていることから、地蔵に彩色するようになったと考えられる」 東児のある古老は、「昔、京都の女郎さんが船乗りについて、胸上などにやって来た。しかし、捨てられるなどして、住みついたが、身寄りがなく死ぬと無縁仏となった。村の人は、生前は多く赤い着物など着ており、化粧するようになったと聞いている」と話している。
とにかく、前述のように東児地区は、五輪塔や宝きょう印塔などの一部も親しんで地蔵さまと呼ぶことがある。
化粧地蔵について、はっきりした伝説は東児には残っていない。
「玉野の伝説」
著者:河井康夫
発行:昭和53年
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