東児・下山坂の五輪地蔵
下山坂の直添の山麓にある五輪塔はお堂の中に祭られている。この五輪塔には次の伝説がある。
明治の初めころか、幕末のころか、時代がはっきりしないが、この五輪のまつられている山麓あたりは畑地であった。一人の百姓がこの畑地に小便をしたとか、肥たごの肥をかけたかして腰痛を起こしたのである。土地の神さまに怒られたことをお詫びするために、ここにあった五輪さまをお祭りしたら腰痛が治ったという。
まつりは六月二十三日で、終戦頃までは小串、番田あたりから参詣者が多かった。
明治以来の五輪は盗まれてしまって、今では身代わりの地蔵さまをお祭りしている。
「玉野の伝説」
著者:河井康夫
発行:昭和53年
このカテゴリーの伝説
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- 亀石のはなし
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- 下山坂の直添の山麓にある五輪塔はお堂の中に祭られている。この五輪塔・・・
- 化粧地蔵考
- 東児地区は特に地蔵信仰が強く、寺や、辻、墓地などに古い地蔵、新しい地蔵・・・
- 王子が岳と唐琴の伝説
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