沙彌高心のはなし
後閑部落の中程の高台に西湖寺跡がある。このあたりの沖の海が、中国の西湖の景色に似ているといわれ、この寺を西湖寺と名付けたという。この寺の跡に「高心の墓」がある。岡山県の重要文化財になっている立派な石塔である。この墓にはカキがついていて、長い間、海中にあったことがわかる。
この高心というのは法号で、俗名はわからないが、南北朝の臣で、楠まさのり正儀に仕えた武士であった。戦いに破れて、直島にかくれ住み、さらに西湖寺(後閑)の住職に迎えられ、風月を友として余生を楽しむかたわら、近在の老若男女の教育にたずさわったという。
沙弥高心について次の伝説がある。
桜鯛のとれる春の一日、高心は漁船をやとって出崎のあたりへ魚釣りに出かけた。そのとき、同じく舟をあやつって、お浪という娘が近づいてきたので、これを呼びとめ投石に上陸してしばらく語り合った。
お浪は漁夫の娘で、大変利口で美しかった。高心はそのお浪に魅せられてしまった。それがきっかけになって、お浪は高心の徳に帰依して仏の道に入ったが、やがてはかなくも世を去った。
高心は深い悲しみに沈み、にわかに髪をそって沙弥(髪をそって仏門に入ること)になった。そしてひたすらお浪の冥福を祈った。
至徳二年、村人はさびしくこの寺で客死した高心の石塔を建てた。寺はすたれたがこの石塔だけは現在も残っている。 高心は直島に滞在していたことがあり、後世まで直島の人はその人徳を慕った。たまたま、高心の墓が後閑にあることを知った直島の人はしばしばそれをゆずって貰おうと交渉した。
しかし、後閑部落はそれに応じなかったので、直島方は夜陰にまぎれて、ひそかに石塔を奪って帰った。ところが、それにたずさわった直島の村人はみんな腹痛に悩まされた。それがこの塔のたたりであることがわかり、一同は高心の墓を後閑に返すことに決めた。
石塔を舟で輸送中、中藻のあたりまで来たとき、舟がどちらにも進まなくなり、困ったあげくこれを海中に投げて逃げ帰った。
すると平和であった後閑部落に疫病、火災がひんぱんと起こったので、里人が祈祷者に占わせたところ、「高心の墓が盗まれたため、高心、お浪の霊がたたっている」とのことであった。
部落の人たちは総出で墓のありかを探しまわり、やっとそれが中藻の海中に沈んでいることを知り、引き揚げて、現在の場所に祭ったということである。
「玉野の伝説」
著者:河井康夫
発行:昭和53年
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