岡山県玉野市に伝わる地名やその地の伝説

ときわぐろ

波知の前池の下に「ときわぐろ」という妙な地名が残っている。ここはその昔、刑場であったとも言われる場所で、しとしとと雨の降る日やなま暖かい風の吹く不気味な夜など首を斬られて死んだ人の人魂や幽霊が出そうな場所だとされていた。

 

それは寿永(1182)の頃のことである。源平の藤戸合戦で有名を馳せた佐々木三郎盛綱が児島を領し、波知の小丸山に館を築いていた頃の話である。この館につとめる女房に"ときわ"と呼ぶ美しい女がいたが、この若い女房があるとき恋をしたのである。

 

その相手がどんな身分の、どんな男であったかは伝えられていないが"ときわ"は不義者として斬り捨てられ、前池の下の草むらに埋められたというのである。

 

それからこの付近では、誰いうとなく、この草むらに入ると、いろいろな祟りがあるという話が広がりいつとはなしに人が寄り付かなくなったという。

 

そんなことがあって、土地の人達は、いつの間にかこの場所を「ときわぐろ」と呼ぶようになったということである。

 

「玉野の伝説」

著者:河井康夫

発行:昭和53年

 

このカテゴリーの伝説

玉と宇野の地名のおこり
昔は、この宇野のあたりは児島の加茂の庄といっていた。
軽島の名のおこり
軽島八幡宮は、元は藤井の大生浦(大池浦)という所にあったが、神官の家から山越で遠く、不便であった。
簀巻き長兵衛
宇野二丁目に児島霊場の第十五番札所になっている日輪庵がある。このすぐ側に、高さ1メートルくらいの石の地蔵様がまつられ、花や菓子が所せましと供えられている。
魔の道・地蔵たわ
八浜の元川から田井の梶原へ越して、孫座にいたる街道の山道に地蔵たわというところがある。
野の浜の由来
田井の野の浜にも神功皇后が西征される途中に船を寄せられた話がある。
直島のそうめん川
直島の天皇神社の側にそうめん川と呼ぶ川があった。この川に奇怪な伝説が残っている。
琴弾の浜
現在の直島の南端の浜で、崇徳上皇がかいを拾い、琴を弾いてなぐさめられた浜。
指くれえ
荘内、槌ケ原の葛山と呼ばれる山の麓に年を経た大きな松が一本あった。
常山落城と鶴姫の奮戦
常山山頂には深い木立に囲まれて、女軍の墓が静かに眠っている。大きな歴史の流れの中で滅びていった常山城を常山軍記を中心に述べてみよう。
坊主池
滝の正蔵院を少し北に登ったところに、奥池がある。
金の甲を埋めた金甲山
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波知の白玉
この話は、かなり有名であったらしく蒹霞堂(おぎかすみどう)雑録にも紹介されている。
ときわぐろ
波知の前池の下に「ときわぐろ」という妙な地名が残っている。ここはその昔、刑場であったとも言われる場所
沙彌高心のはなし
後閑部落の中程の高台に西湖寺跡がある。
金甲山の大くちなわ
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鉾島と神功皇后
神功皇后は伝説の人物である。皇后は名を思長足姫命(おきながたらしひめ)と・・
亀石のはなし
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石島の伝説(徳兵衛岩など)
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東児・下山坂の五輪地蔵
下山坂の直添の山麓にある五輪塔はお堂の中に祭られている。この五輪塔・・・
化粧地蔵考
東児地区は特に地蔵信仰が強く、寺や、辻、墓地などに古い地蔵、新しい地蔵・・・
王子が岳と唐琴の伝説
王子が岳は幾つもの山や谷からなって相当広い山地を作っている。
唐の王女
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