岡山県玉野市に伝わる地名やその地の伝説

金甲山・常山・由加山の山くらべ

神代の昔に、吉備の児島の高い山がおのれの高さを競った。東から金甲山、中央が常山、西の由加山がそれぞれ、自分が高いと、背の高さを競った。三山とも負けまいと、お互いに背伸びをして競ったが、雲がさまたげをして勝負が決まらなかった。

 

これをみた天の神さまが三山に長い長い「掛け橋」をかけ、その雲を大雨にかえて降らせ、雨水が流れ下った方が低いのだと決めた。その結果、金甲山が高いということがわかったという。

 

丈比べに負けた由加山と鬼

高さ争いに大負けした由加山には、前述のとおり、悪者どもが住みつき、鬼の住家、鬼の洞窟となってしまった。 鬼どもは、夜な夜な人里におりて強盗を働き、女や子供をさらうという悪事の限りをつくした。 村の人は都へ鬼征伐を願い出た。時の御門は有名な坂上田村麻呂をつかわした。御門の命を受けた田村麻呂は山田に上陸し、神の峯(金甲山)の麓にあった円通寺の竜王さまにお願いして必勝を祈願したうえ、苦心さんたんした末、由加山の鬼を退治した。

由加山の鬼を退治した田村麻呂は神さまのご援助のお礼として自分のきていた金の甲を竜王さまに奉納したのである。そのため、神の峯のことを人々は金甲山と呼ぶようになった。

 

別に児島に上陸し、金甲山の頂上に埋めたとも伝えられている。

 

「玉野の伝説」

著者:河井康夫

発行:昭和53年

 

このカテゴリーの伝説

玉と宇野の地名のおこり
昔は、この宇野のあたりは児島の加茂の庄といっていた。
軽島の名のおこり
軽島八幡宮は、元は藤井の大生浦(大池浦)という所にあったが、神官の家から山越で遠く、不便であった。
簀巻き長兵衛
宇野二丁目に児島霊場の第十五番札所になっている日輪庵がある。このすぐ側に、高さ1メートルくらいの石の地蔵様がまつられ、花や菓子が所せましと供えられている。
魔の道・地蔵たわ
八浜の元川から田井の梶原へ越して、孫座にいたる街道の山道に地蔵たわというところがある。
野の浜の由来
田井の野の浜にも神功皇后が西征される途中に船を寄せられた話がある。
直島のそうめん川
直島の天皇神社の側にそうめん川と呼ぶ川があった。この川に奇怪な伝説が残っている。
琴弾の浜
現在の直島の南端の浜で、崇徳上皇がかいを拾い、琴を弾いてなぐさめられた浜。
指くれえ
荘内、槌ケ原の葛山と呼ばれる山の麓に年を経た大きな松が一本あった。
常山落城と鶴姫の奮戦
常山山頂には深い木立に囲まれて、女軍の墓が静かに眠っている。大きな歴史の流れの中で滅びていった常山城を常山軍記を中心に述べてみよう。
坊主池
滝の正蔵院を少し北に登ったところに、奥池がある。
金の甲を埋めた金甲山
話は由加の鬼の当時に戻るが、この鬼は、里に出ては悪行の限りをつくすので、桓武天皇は都で第一の坂上田村麻呂を由加に派遣し、鬼どもをことごとく退治した
波知の白玉
この話は、かなり有名であったらしく蒹霞堂(おぎかすみどう)雑録にも紹介されている。
ときわぐろ
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沙彌高心のはなし
後閑部落の中程の高台に西湖寺跡がある。
金甲山の大くちなわ
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金甲山・常山・由加山の山くらべ
神代の昔に、吉備の児島の高い山がおのれの高さを競った。
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神功皇后は伝説の人物である。皇后は名を思長足姫命(おきながたらしひめ)と・・
亀石のはなし
番田に遊亀山とよぶところがある。これも神功皇后が三韓征伐のとき・・・
石島の伝説(徳兵衛岩など)
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東児・下山坂の五輪地蔵
下山坂の直添の山麓にある五輪塔はお堂の中に祭られている。この五輪塔・・・
化粧地蔵考
東児地区は特に地蔵信仰が強く、寺や、辻、墓地などに古い地蔵、新しい地蔵・・・
王子が岳と唐琴の伝説
王子が岳は幾つもの山や谷からなって相当広い山地を作っている。
唐の王女
王子が岳に王子が住んでいたなら、このあたりに王女もいたにちがいない。