岡山県玉野市に伝わる社寺にまつわる伝説

お清物語

田井、見能の慈照院の桜は見事である。ここは昔は庵であったが、この庵の祖にお清という人がいた。

 

お清は、平教経の子孫で平田常右衛門の娘であった。その先祖の平家一門が滅びた当時田井新左衛門慰信高をたよって、ここに住みついたという。この話は江戸時代も後半にかかり、ロシア船が蝦夷地に来てから間もない頃の話である。

 

父の常右衛門という人は弘法大師を深く信仰して、毎日かかさず観音経三巻を読誦(どくしょう)するという信心ぶりであった。

 

幼い頃から、こんな家庭で信心深く育ったお清は十九歳の時に大病を患い、あちこちの神仏に病気平癒の祈祷をしたが、特にお大師様には病気平癒の暁には、四国霊場を二十一回巡拝しますという願をかけていた。

 

信心のあらわれか、やがて病気も全快したお清が四国遍路の旅に立ったのは、寛政二年(1780)、二十二才の時であった。

 

それから八年、二十九才までにお清は四国霊場を二十三回も巡礼するという信心ぶりで、特に、二十一回目からは「はだし参り」をしたが、この時、二十三番目の札所、日和佐の薬王寺で旅の出家から一本の杖と七足のワラジを授かった。不思議なことにその出家はお清に杖とワラジを授けると、かき消すように姿が見えなくなった。

 

驚いたお清は、これこそお大師さまからつかわされたものと信じ、いよいよ信仰を深めた。若い身空で苦しい修行を重ねたお清の大師信仰は、いつの間にか生き菩薩として仰がれるようになった。そして、寛政十二年頃から不思議と近郷近在からの参拝者が増えはじめたが、ある夜、弘法大師が夢枕に立ち、「これからは汝に授けた杖によって、諸人を助けよ」というお告げがあり、それ以来、この杖を大師の象徴として、ますます、信者は増え、池田家や藩士の家中からも迎えられて、加持祈祷に出かけるほどになった。

 

そのうち、本尊もでき、庵も建設されて現在の慈照院となっている。

 

玉野の伝説」

著者:河井康夫

発行:昭和53年

 

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